つたえ隊Vol.17 STUDIO BREATHE DANCE&YOGA スタジオブリーズ ALASAさん

 

ALASAさん

教室の先生や

教室に関わる人物を紹介する

「つたえ隊」。

 

第17回目は、焼津市でダンスとヨガを教えている

STUDIO BREATHE DANCE&YOGA
スタジオブリーズ

ALASAさん。

見た目はキュートでチャーミングな女性だが、自分にはとても厳しい彼女。前向きに先を見つめる彼女の瞳は奥底まで輝き、その小さな体からは想像できないくらいのバイタリティで、目の前の未来を切り開いてきた。彼女は、五感全てで現在を生きている印象がある。

「好きを仕事にすることが目的ではなく、好きなことを追い続けたら仕事になりました。」

そんな彼女と「ならいごと」との関わりについて聞いてみた。

 

 

母の思惑!?3歳からクラシックバレエをはじめた

 

3歳からクラシックバレエを習った

母がモダンバレエをやっていた影響で、3歳から、20歳までクラシックバレエを習っていました。バレエにハマり、楽しくて好きで仕方ありませんでした。

コンクール中心の競争というより共演重視の教室。皆で綺麗に踊ることも楽しかったのですが、個人的にターンが多く回れたり、さらに足が上がるようになったり等のやりがいも実感しながらバレエを楽しみました。発表会でいい役がもらえた時は、やっぱり嬉しかったですね。

 

 

 

バレエにつながるオペラ部(合唱部)へ

 

オペラを部活で全幕演じました

高校では、演技的要素がバレエにもつながると思い、オペラ部に入部しました。正式には合唱部です(笑)。

部活ではオペラを全幕演じるために、全てを1から作り上げていきます。全員が歌って舞台に出る部員でありながら、大道具や小道具、衣装担当等、個々で役割を担当します。男子は舞台後ろのパネルを手作りする大道具が大半で、衣装に至るまで舞台に関わる全てが手作り。私は衣装係をしながら、制作が終わると歌、演技の練習をしていました。先生に頼まれて、バレエやっていた私は振付けを担当することもありました。

 

 

きっかけは劇団四季のオーディション

 

劇団四季のオーディションに挑戦!

高校は進学校でしたが、大学や専門学校に興味はありませんでした。そんな時、顧問の先生に劇団四季のオーディションを勧められて受験したんです。書類選考に通過すると実技(歌と振付)があるのですが、そこが肝でした。クラシックバレエではなく、項目はジャズダンス。その場で振付けをして、次の日に演技をする試験でしたが、未経験の人が1日で覚えることができるほど、ジャズダンスは甘くなくて、結果落選してしまいました。似ていても全く違う…それがダンスなんですよね。この出来事が引き金となり、もともとジャズやストリートダンスに興味があったこと、劇団四季に落選したこと、就職するなら他に楽しいことを始めたいと思ったこともあり、高3の冬からダンスを始めました。

 

バレエと正反対のダンス

 

バレエとダンスは正反対の体の使い方

ダンスの知識がゼロの私は、HIPHOPっぽいジャンルの服装を売っているお店に行ってダンス教室がどこかないかを聞きに行きました。そこで教えてもらった教室が、このあたりで一番古いGrand-gee-groovy。制服のまま静岡まで電車に乗ってそこに通い始めたんですよ。バレエを続けながら、当時ガールズHIPHOPで静岡No.1と言われていたNORU先生やKYOKOの先生のレッスンを受けていたので、曜日ごとに頭を切り替えることが大変でした(笑)。今思えば、ジャズダンスとバレエは少し繋がるところがあるんですが、HIPHOPはバレエとは正反対の世界。バレエは体を引き上げる世界ですが、HIPHOPは姿勢からして全く逆なんです。バレエは上に上に、HIPHOPは下に下にという世界なので、自分では下を意識しているつもりが、一人だけいい姿勢をしていたり(笑)。周りから「バレエやってた?」という一言が、当時は私のコンプレックスでした。

 

 

 

バレエがダンスに活かせると気づいた

 

バレエを習ったことがHIPHOPに活かせた

21歳の時にロサンゼルスで出会った先生に「あなたはバレエ経験者?」と聞かれ、「うわ…まただ」と思い、それが嫌だと伝えたんです。そうしたら先生が「それは長所。あなたのように綺麗にHIPHOPを踊ることができる人がそうはいないのよ。」って言ってくれて、そこから心持ちが少し変わりましたね。

HIPHOPは、がむしゃらに踊り過ぎると雑に見えてしまうことがあるんですが、女性らしさを意識しながら踊るパートでは、身体の使い方や見せ方も大事。その時はバレエが助けてくれましたね。やってて良かったなと今では思っています。

 

 

 

ダンスのやり過ぎでヨガに出会った

ヨガとの出会いは偶然だった

朝の8時から17時までの仕事は、ダンスをやるためのもの。職場から東静岡に行き、練習後に帰宅しては寝る毎日。夕飯は食べたとしてもカップラーメン。毎日トランクに1ケース分のカップラーメンが入っている中から取り出して、静岡に着くころにそれを食べてから練習に向かう生活。そんな生活を毎日していたら、体がむくみ、疲労は蓄積…体を壊してしまいました。

疲れすぎて眠れなかったり、変な時間に眠くなってしまったり等、睡眠不足もたたり、体がボロボロになりました。医者に甲状腺が悪いと言われ、少しだけダンスを休むことにしたんです。それでも私は体を動かしたくて、体に良いことをしようと始めたのがヨガでした。やってみると深い世界。

私が初めて習ったヨガは思っていたよりも激しいヨガ(一番キツイ動きをするアシュタンガヨガ)で、ついていくのがやっとでしたね。その後ほかのヨガにも触れ、聖地インドにも行きましたが、いろいろな流派があり、私の知っているヨガはごくごく僅か、ほんの一部だということを知りました。

 

 

 

ダンスが仕事になった

 

ダンスを仕事にできたのは周りのおかげ

お金を貯めては、ニューヨークやロスへダンス留学。安定することよりも好きなことを求めたかった私は仕事よりもダンスでした。母は安定を求めるタイプで私とは真逆だったので、完全に呆れていましたね(笑)。

仕事と並行してダンスにも打ち込んでいたのですが、幸運な事にダンススタジオ主宰の方(KIYOMIさん)に声をかけていただいて、レッスンを持つことができました。18歳でダンスを始め、23歳で私は教え始めることになったんです。静岡でスタートし、「こっちでも教えてほしい」と、地元の藤枝にも教室を開きました。いつの間にか生徒さんが20人超になってしまい、西焼津に場所を移しました。

エイベックスと契約してからは、認定講師として教室がどんどん増えていきました。同時に「キッズもやって欲しい」と頼まれキッズクラスも始めるようになり、そこからまた口コミが広がって、1クラスから2クラス、3クラス…どんどん増えていきました。自分1人の力の限界を感じ、子どもたちも発表会に出たいという気持ちになってきたこともあって、このスタジオを構えることにしたんです。

 


たいせつなこと

ダンス以外のこともたいせつ

インストラクターを目指す子には、ダンス以外のことも教えています。ダンスは踊り+α(選曲・音の編集・振付け・構成)が必要です。生徒たちには、それらに踊りながら取り組んでもらいたいんです。ダンスを教えるのに資格は必要ないですが、どれだけうまく伝えられるかも大事ですし、それ以外のことも経験しておけば、インストラクター、ダンサー、振付け師、演出家等、将来の可能性も広がります。

私のレッスンは厳しいですが、とにかく楽しんでやってもらうことを心がけています。それなりの中途半端なダンスをするのではなく、しっかり踊るには筋肉も使いますし、バランス感覚も研ぎ澄ます必要があります。他から見学にきた子たちが私のレッスンを見ると、目が点になり、「こんなことやるの!?」と、皆さん絶句して帰るんです。でもそれは、楽しいだけのダンスではなく、生徒さんがしっかり踊れるようになり、東京に出てもやっていけるぐらいのスキルを身につけてほしいと思ってるから。辛くても、楽しくやりきってほしいので、明るさも求めます。辛さを越えたやりがいって、そこにあるのかもしれませんね。発表会前の私は鬼になりますけどね(笑)。