アトリエKAZU 守澤和代さん

 

 

アトリエにて

教室の先生や

教室に関わる人物を紹介する

「つたえ隊」。

 

第10回目は、日本では珍しい友禅染め教室

アトリエKAZU

守澤和代先生。

おっとりとした中にも、しっかりとした信念が垣間見える和代先生。

 

時に面白おかしく笑い話をする彼女には、どこか幼子を思わせる面影が宿っている。
しかし、友禅の話になると、分かりやすく端的に説明をする男性のような面もある。

かと思えば、あたたかい母のような表情を見せ、看板犬のエリを見つめている。


ていねいだが迷いのない、潔い筆運び、奥行きのある独特のタッチ。緻密な描写に、健康的な透明感のある描写。

彼女の中に宿る、日本、京都、友禅、ヨーロッパ。わび、さび。
彼女の生み出す世界は、和でも洋でも、和洋折衷でもない、和代流。
そこには、いままでの彼女の道のり全てが脈々と流れ、個性として息づいている。 

そんな彼女と「ならいごと」との関わりについて聞いてみた。

 

 

 

染め物への興味はなかった


染め物への興味はなかった

日本全国13か所に引っ越した転勤族の家庭で育ち、最終的に地元静岡に落ち着きました。親戚が関西で繊維業を営み、母の兄が呉服店をしていたため、母が着物持ちでした。着物は好きだけど、地味な世界という着物業界の印象があり、派手な関東に行って女優さんになりたいと思っていました。でも、父が大反対。

見張る人間(親戚)もいないし、芸能界は女には危険な世界だと言って聞きませんでした。オーディションに受かっても、父が関門。その父ですが、実は俳優にも絵描きにもなりたかったみたいですけどね(笑)。

とにかく家から何とか出ようと企んで、親戚がいる関西に目を付けました。すると、古く厳しい友禅の世界なら躾もされるしOK!と許しが出たので、家を出て住み込みで働くことになりました。

 

 



住み込みから友禅の道へ

 

友禅作家が先生になった

大きい工房で友禅を習った方がためになると思い、見学に行ってみたんですが、そういうところでは担当する一部の内容しか学べないことを知りました。作家は分業制ではないので、全ての工程を自身でやると知ったので、作家さんへ弟子入りすることにしました。

先生になってくださったのは、女性の友禅作家で、そのご主人も板場友禅の作家。京都は作家だらけの作家街なんですよ。隣も作家、向かいも作家、橋を渡っても作家(笑)。みんな自分でイチから色を作るんです。

見て覚えるのが基本ですが、こんなにたくさんの作家が周りにいる!覗きに行ければ、自分の目で吸収できる!町を歩けばいろいろな作風が見れる!と、若い私はやる気に満ち溢れていました。

 

 




見習う


覗き見て見習う、おぼえる

父はよく、絵を描いていました。障子や襖…転勤した先々、行くところ全部に絵を描いていました(笑)。その影響で私も、水墨画やデッサンのようなモノクロの絵を描くようになりました。色を付けることは友禅で知ったんですが、あなた、デッサンは上手だけど、色を付けると台無しになるね、と言われ続けました。白黒は濃淡で陰影が出ますが、染めの世界は色合わせからなんです。作家は夜でも色を作るので、何と何を合わせたらどうなるかを、毎日覗き見て覚えました。

作家はみんな年上で80、90代が中心。ひ孫くらいの私を、とてもかわいがってくれました。国宝の先生に、おじちゃん遊びに来たよと和菓子を持って行けるのは、ひ孫世代だから(笑)。「おいないおいない。そこで見といない(おいでおいで。そこで見ていなさい)。」大事なところも「よう見ときぃ~」っと、全部見せてくれました。他にも、親くらい歳の離れた作家さんに「お姉ちゃん」と寄って行き、ろうけつ染めを見習いに行ったり(笑)。私は本当に恵まれていたと思います。

 

 



京都という町

作家が忍者のようにやってくる町

京都は難しい町と思っていましたが、入り込むと温かいところです。言葉はきついですが、断り文句が分かっていれば大丈夫。私は女優になりかったくせに、引っ込み思案で目立つのが嫌いだったんです。でも京都は、知らない人でも受けいれてくれるし、何かすれば突っ込みが入り、どこに行っても投げれば打ってくるし切れば倒れる(笑)。そういうノリが好きでした。

おかげさまで、すっかり性格も変わりましたね。夜は屋根伝いで顔見知りが来る町、京都にはそれがあるんです。実は作家は、お金のためにする仕事を昼にして、自分のための仕事は夜にするので、作家の集まるこの町は、夜中でも明かりが消えないんです。隣の隣の人が屋根を伝い、まるで忍者のように、これ、手伝ってくれない?と来たり、問屋さんも屋根から上がってきて、できたかね?と窓を開けて確認しに来たり、京都という町は本当に面白いところですよ(笑)。

 

 

 


禅のような修行時代、その後に…


筆の手習いは、まさに禅の修行

1年は線だけ描くカチン描きの修行のみ。1反12メートルの反物にひたすら細い線をまっすぐ、同じ墨の濃さ、太さで描くだけです。それはまさに、筆に慣れるためだけの、禅修行。好きな太さや濃さで描けるように、ひたすら練習でした。水墨画の運筆(うんぴつ)練習では、右から左だけでなく左から右、斜め下から上…どの方向からも描けるように、ひたすら筆を運ぶことを修練しました。

早く次に行きたいと、3か月でうんざりして逃げ出す人がたくさんいるくらい、とても地味な世界。それを経て描く段階に入れるのですが、楽しくて、もっと綺麗に描きたいと、どんどん友禅にのめり込みましたね。その後に色作り、絵柄作り。さらに、着物の形のひな形にレイアウトを描くようになりました。

作家として活動するようになると、着物に陶器、ジャンボジェットを描いてほしい等、個性を表現したいというお客さんの要望に応えることが多くなりましたね。既製品ではできないことが要求されました。

 

 



開かれた絵描きへの道

友禅の技法で水彩を描く

和(友禅)の世界と洋画は、一見つながりがないように思えますが、友禅作家の森阪公介先生や山崎祥平先生は油絵画家でもあります。私は水彩画や水墨画は好きで描いていましたが、画家の道に興味はありませんでした。ある時、森阪公介先生が小田原のデパートで個展を開くけれど、私の作品も展示して欲しいと言われたんです。その時に国創会のオーデションを勧められ、山崎先生の審査で国創会の会員になることに。その後も横浜のIMA会のオーデションに合格し、個展を開きながら絵を描き、変わった絵だと言われ続けていました。

それはそうですよね。濡れ描き法や運筆法、ろうけつ堰だし(せきだし、輪郭線を描かない手法)といった、友禅の技法で描いた水彩画ですから。この技法では、特に色の濃淡と透明感が際立ちますが、その技法で描いた1枚が、ルーブルの評論家である、パトリック・オベールさんから、日墨芸術交流際展(メキシコ)でパトリック・オベール芸術選奨賞をいただいたくことになり、とても嬉しかったです。ルーブルは最高位の画家の集結の場所!今年は、オファーを受けて9月にミラノ国際博覧会に出品するのですが、日本のモチーフを描くつもりです。

 

 

 


伝えたいこと


日本の良さを再発見して欲しい

京都では、わびを茶色、さびを黒で表現し、どんな色にも必ず入れて混ぜて使いますが、西洋芸術の色合いの中でも、わびさびを感じるところが多々あることを渡欧した時に気付きました。わびさびを少し用いるだけで、絵が落ち着いてくることは万国共通なのでしょうかね!?

でも、何を描くかという私の基準は、日本の自然。日本の素材を選ぶのも、日本のモチーフに惹かれるから。日本の良さを再発見して欲しいと思っています。

アトリエ兼教室をスタートして、もう20年以上が経ちますが、絵は描き方の順番をきちんと学べば、誰でもうまく描けるようになることを伝えたいです。ここには、絵は描けないけど染めには興味がある、と来てくださる方が多いですが、最終的に着物を作っていたりするんですよね。やりたい気持ちと好奇心があれば、もう教室に来てもいいと思いますよ(笑)。 

否定ではなく、すべてを肯定する和代さんの包容力。経験からくる懐の深さは、きっとこれから絵や友禅を学ぶあなたへの、大きな助け舟となるだろう。