つたえ隊岡田寛行太鼓塾アブラナ

 

 

太鼓塾アブラナ代表岡田寛行さん

教室の先生や

教室に関わる人物を紹介する

「つたえ隊」。

 

第7回目は、和太鼓奏者でもあり教室も開催する

岡田寛行 太鼓塾「アブラナ」

岡田寛行(おかだひろゆき)さん。

太鼓打ちというと、太い筋肉を纏った勇壮な男が力強く芯を叩くイメージ。
しかし、岡田さんの演奏の印象は違う。しなやかな駿馬が草原を駆け抜けるように奏で上げる印象だ。取材中、テンポ良く、噺家(はなしか)のように流暢に話す岡田さん。
置かれた環境や状況を客観視し、求められている役割も理解し、まわりとバランスを取りながら行動できる頭脳の持ち主であることが取材で分かった。

「自分は風景が見えるように、意識して打っています。決まりきった型のような技術を伝えるよりも、その人なりの打ち方、やり方を一緒に見つけるスタンス。先生というよりもトレーナーっぽい伝え方をしているから、そう思うのかもしれませんね。」
行間や余韻、声色といった要素で表現する彼の太鼓は、彼独自の世界観を帯びている。
そんな彼と「ならいごと」との関わりについて聞いてみた。

 

 

 

引っ込み思案だった幼少期


目立ちたくない子どもだった

授業中に先生に「当てないで!」とずっと念じていたり、人前に出ず、なるべく目立たないようにして過ごしていたという。頭の回転は早いが、自己表現は不得手…幼少時代はそんな少年だった。

「スポーツは苦手、勉強も好きではない。習わされたピアノもイヤイヤ(笑)。特に何かにハマったという記憶はありません。父は農家、母は教師の家庭で、全校生徒10人の母校は今は廃校。超田舎の狭い世間で育ちました。進学を考えた頃は、とにかく岡山から出たかったです。センター試験の結果で行ける大学は静岡大学だったので、こちらに来ることになりました。」

父母の影響や地元の特性もあり、帰ったら市役所か教員になるものだと思って、大学に進学したという。

 

 

 



太鼓との出会いで性格も変わった

 

引っ込み思案を消した太鼓との出会い

大学の同級生に「先輩がサークルを見に来いって言うから付き合ってほしい」と頼まれ、ついていったのが和太鼓サークル龍韻太鼓。そこではじめて和太鼓に出会った岡田さん。

「間近でその音、その様を見て、すぐに惹きこまれました。付き添いで行った僕が入会(笑)。試し打ちで褒められて、乗せられた!?“ドン”という音の感じも好きで、かっこいい先輩がいて。同級生はすぐやめたのに、見事に僕が大学の勉強そっちのけでハマってしまいました。親に太鼓を始めたことを自慢するくらい(笑)。」

環境が人を変える。和太鼓に出会い、自分を表現する道に気づけた結果、岡田さんの引っ込み思案は消えていった。あるべき場所に行き着けば、人間はおのおの“らしく”輝くことができるのだ。そして、活動を共にしてきた先輩“はせみきた”が和太鼓のプロ演奏活動を始めたことを目の当たりにし、いつしか職業=太鼓打ちをイメージするようになったという。

 

 




自分の方法で、自分の道を作っていく


奏でる太鼓を体現する

「卒業後、先輩はせみきたと和太鼓演奏デュオ“ようそろ”を始めました。はせみきたは和太鼓でも花形の大太鼓打ちでしたが、僕は動きのある太鼓が特徴と思ってます。僕には僕の役割があり、はせと対比して表現することでお互いが生きると感じました。所作や動き…それらは太鼓のひとつの表現方法で、リズムだけでなく、抑揚はすごく大事。そしてそこに“物語”があるかどうかを意識して、僕は打つことにしています。」

その場の雰囲気と太鼓を、合わせていく。その場の聴衆を惹き付ける空気感を生み出す。自分の方法で自分の道を作ってきた岡田さんは、「聴衆と一体になって奏でる太鼓」を体現する。
そのひとつが「打ち語り」だ。

打ち語りとは、地域にある民話や伝説を太鼓演奏をしながら話すもの。狂言のように話しながら音を入れる方式で、和製ミュージカルといったところ。演奏と演奏の間の箸休めとして始めたのがきっかけだったという。

「一番印象に残ったと言っていただいて。周りでやっている人もあまり見受けられないし、地域に残っている民話や伝説に出会って作品にすることは、とてもやりがいがあります。言葉の通じない海外では厳しいし、場所も限られますが、和洋折衷なセッションができたり、ストリートライブやお笑い的要素が入ったり等、打ち語りで和太鼓の世界を広げていきたいですね。」

 

 



伝えるということは、その人なりの打ち方を見つけること

教えることは伝え見つけること

沼津牧水会からようそろに来た「オリジナル組曲の作曲依頼」。その曲を披露する場と仲間も欲しいということになり、演者を募ることになった。そこで教える必要性に駆られ、立場上はじめて「先生」になったという。

「一般の方大勢に伝えるのは、この時が初めてでした。僕の教室アブラナは、発表するために技術を伝えることよりも、その人らしい打ち方を一緒に見つけるスタンス。生徒さんはそれぞれ環境や体型、筋力、性格も違います。肩はこの角度、腰はこの高さ…画一的な教え方では、どこかに無理が出てしまう。楽しむものが辛くなっては本末転倒です。しんどいのはイヤ、ゆるくやりたいという人がいれば、それもひとつのスタイル。和太鼓を身近に感じてもらえればいいんです。」

アブラナ(菜の花)は「快活よく生きること」という意味。臨機応変で、しなやかに道を進む岡田さんにはピッタリの花言葉だ。「今年はアブラナの塾生で人前で演奏する機会を設けることが目標です。どんな演奏が出来るかとても楽しみです。」

アブラナは今後「生徒の個性表現の教室」として飛躍し、和太鼓は彼の「打ち語り」によって、さらにエンターテイメント性を帯びてゆくことだろう。