つたえ隊 ヒーリングフラPu'uwai(プーヴァイ)のkaiさん

 

 

kaiさん

教室の先生や

教室に関わる人物を紹介する

「つたえ隊」。

 

第6回目は、心で踊るヒーリングフラ

ヒーリングフラ Pu'uwai (プーヴァイ)

kai(カイ)さん。

太陽のようにじりじりと照りつける熱さではなく、必要な時にそばにいてくれる月光のような、寄り添いのひと。
それがkaiさん。
その笑顔には、優しさやあたたかさだけではなく、憂いもある。

陽があり、少しだけ陰も帯びているからこそ、そのコントラストが彼女をより一層輝かせている。
それは、無理をせず、背伸びもせず、彼女が悩み進んできた道があればこそ。
Kaiさんの笑顔には、嘘がない。

「ハワイにはハワイの、日本には日本のフラがあってもいいんじゃないかな。何かを伝えるフラがしたいから。」
そんな彼女と「ならいごと」との関わりについて聞いてみた。

 

 

 

 

勝手に踊り出す女の子


踊りが大好きな少女

小さい時から踊りが好きだったKaiさん。
「3歳の時、叔母に白鳥の湖の舞台へ連れて行ってもらいました。たまたま前が広く空いている席だった私は、見ているだけでなく、席を立って踊っていたのを覚えています。踊りは習っていませんでしたが、体が自然と動いて。叔母は10代でしたから凄く恥ずかしかったらしいです(笑)。」

音楽があれば踊っているような少女。母が音楽や映画好きだったこともあり、家では何かしら音楽が流れている中で育った。小学校3年生でバレエスタジオへ入り、初めて踊りへの一歩を踏み出したという。

その後、親の転勤でバレエから少し離れ、体操部に入部した。
「頭のどこかにいつも踊りの意識があったのかな?部活には踊りの部門はなかったけど、いつも隅で友達と踊っていました(笑)。」

 

 



音を聞くと振りが浮かんでくる

 

振りが浮かんでくる

幼少期に参加した盆踊り大会でも、面白いエピソードがある。
「おばあちゃんが秋田おばこを作ってくれて、今でもその法被は持っています。何故か見ているだけで踊りがすぐわかってしまいました。真ん中で踊りなさいと、やぐらの中心で踊ることになって(笑)。習ってもないのに何で踊りが分かるのかな?と思ったのを覚えています。」
音楽を聞くと振りが溢れるように浮かんできたことを教えてくれた。

さらに、高校の仮装大会では、「私が振り付けを考えてウエストサイドストーリーをアレンジし、スウィングトップをみんなで着て踊りました。男子に白いチュチュを着せて(笑)。ウエストサイドは人種や階級差別の物語ですが、最後に悪いのは誰だっていうフレーズで先生を“お前だーッ!”って指さしたり…楽しかったですね。踊りも感情を表現するものですね。」
と、その楽しかった学生時代を振り返った。

 




現実の壁


壁に当たった絶望期もあった

ー踊りについてもっと知りたいー
ー 海外の文化やいろんな国の踊りが見てみたいー
その願いを形にすべく、東京の専門学校へと進学したkaiさん。

世界へ飛び出そうと勉強を始めた矢先、東京に出てたった半年で、その夢は閉ざされてしまったという。

「東京行きを唯一後押ししてくれた母の容体が悪化し、専門学校を辞め、看病で静岡に帰ってきました。海外や世界で働きたかったし、いろいろな国に興味があったんです。でも母は末期ガンで痛みがひどく、ろくに話もできない状態になり、1年で他界。フラをやりだした頃も父が病気になって思うように動けませんでした。フラを教えてくださいという話もたくさんいただいた時も、父のことやクラスに穴を開ける危険性を考えて、断るしかありませんでした。私が何かをやろうとすると、よくないことが起こるんだな、ストップがかかるんだな、私には未来がないんだなと悲観的になった時期もありましたね。」

 

 



フラとの出会い

フラはとにかく楽しい

出産後の体型を元に戻す目的で、首が座らない子どもを連れて体を動かし始めたkaiさん。
「公民館で年配者向けのエアロビ教室があれば連れていったり、子連れOKならどこへでも(笑)。ハワイに行った時にアメリカの友達がポリネシアカルチャーセンターに連れて行ってくれたんです。ポリネシアン人しか出られないショーがあって、それはハワイ諸島の文化を紹介する100人のショー。妊婦さんがフラをソロで踊ったのを見た時、ものすごく感動しました。見たことない!これはすごい!すぐやりたい!年をとってもできる!とテンションMax(笑)。」
これがフラにのめり込むきっかけとなったという。 

その後、そのセンターで踊っていたダンサーがたまたまワークショップをすると聞き、「即応募、即参加。何の偶然かと思いました。ちょっと運命じみたと思うのは自分だけ(笑)?」
そんなきっかけもあり、フラの道へ進んでいった。「とにかく楽しくて。家に帰って、覚えたての踊りを食事の前に披露して、子どもと無理やりディナーショーをやっていましたね(笑)。」

 

 


楽しさも悲しさも 全ての営みがフラ


全ての営みがフラ

その後、ハワイの大会にも参加したkaiさん。しかし、大きくなる疑問があった。
「フラは言葉、着る物、レイカルチャーや食事…全ての文化が含まれたものと教わりました。ハワイに住んでいない私がハワイのフラを探求するのは難しいと思いました。いつの間にか踊ることの楽しさを忘れてしまい、フラの神髄に申し訳ない気持ちになって、フラから身を引きました。」

舞台を裏方として見た時、何も伝わってこなくてショックを受けたkaiさん。
「自分はそういう踊りをしていたんだと残念な気持ちになり、フラ自体を辞めました。」 その苦しみの中、娘から言われたひとことで前が開けたと話す。

「ママはフラ辞めない方がいいよって。娘がずっと見ていてくれたんだと、救われました。そうこうしていると、教えてほしいと言ってくれる方が現れたり、フリーになったことでいろいろなワークに誘われたりするようになりました。富士山奉納フラに参加したことで、やりたいことが明確になりました。何かを伝えるフラが私はしたいと。」

 

 


ヒーリングフラ

 

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富士山奉納フラは、朝集合し、曲を覚えて、午後踊りを奉納するというスタイル。まだ肌寒い6月の雨の中で行われたワークだった。

「奉納フラの時、この雨も偶然じゃなくて祝福です、と言われ、腑に落ちました。雨をいただいているんだという感謝の気持ちになり、雲の向こうで富士山は聞いているから踊ろうと。ハワイアンの山はマウナケアやマウナロア。日本には富士山。日本人のための日本のフラがしたいと思いました。ハワイ語で何を言っているかわからないより、日本語の曲で日本のためのフラがしたいと思いました。そして、ハワイ色の衣装を着ると、女性が嬉しくなったり、年配の方でもいい表情になったり、色や音で心が明るくなったりしますが、それは心のケアにもなります。フラでヒーリング、癒しをする=ヒーリングフラ。三浦さんが私のフラを見てオリジナル曲を作ってくれたのがきっかけで、そこに振りをつけてくれませんか?ということになって。それがきっかけで彼が生歌生演奏をした曲に乗せて私たちが踊る今のスタイルができたんですよ。 彼とのユニットであるHoene(ホエネ)は響きという意味もありますが、あたたかくて優しくて深い彼の声と、彼のつづる詩やことば、その詩の意味と、私達のフラが共鳴する、響くという意味でもあります。  」

静かな波や、ゆったりとしたうねりのように…包み込むあたたかさに帯びたフラを、kaiさは今日も祈りを込めて踊る。