無心窯静岡駅前教室小割哲也さん

 

 

小割先生

教室の先生や

教室に関わる人物を紹介する

「つたえ隊」。

 

第4回目は、陶芸教室

無心釜清水駅前教室

小割哲也(こわりてつや)さん。

落ち着いた口調で、淡々と語る小割さん。
静かにものごとを見つめ、解釈し、そして受け止める。その姿勢が現れているかのような声色で、小割さんは使う言葉を選び、聞き取りやすい通った声で話す。

それは、移ろいゆく世の中の激流に流されず、適度に丸みを帯びてはいるが主張を失わずに流れの中に鎮座した岩のようだ。「土を触り、土と対話するんです。」 
ありがちなこのフレーズでさえ、不思議な説得力を帯びているのは、無数の土との触れ合いがあるからだ。

「失敗はないと思うんです。頭で描いた設計図が崩れても、土が作ってくれた表情をどうするか。予定通りではなくてもいいんです(小割さん)」
そんな彼と「ならいごと」との関わりについて聞いてみた。

 

 

 

美術が好き 子どもの持つ無意識のすごさ


美術が好き 子どもの持つ無意識のすごさ

小さいころは、美術少年だった小割さん。保育園や小学校で課題として出される図画工作が楽しかったという。
「幼稚園で先生や友達の絵を描いたり、校庭でモチーフを見つけて水彩画を描いたりしていました。小2の時の水彩画が、ジュニア県展で金賞に入ったり…走りまわって遊ぶよりも、手を使って何かをすることの方が得意でした。」

子どもにも教えるという小割さんだが、「大人になると、何々であるべき等、理屈から入ってしまいがち。子どもが描いたものは、手先が不器用でも、しがらみがなく、自由で純粋で魅力的」と語る。子どもは未熟だが、大人を凌駕する創造性を持ち得ることがある。小割少年も、きっと感覚のままにペンを動かし、描き、好きなバランスで仕上げて、それが評価されていたことだろう。

「器用にできていなくても、そんなことは関係ないんです。好きなものを創り上げようとして、最終的にバランスが取れている。子どもは理屈じゃなくて感覚。これは先入観のない子どもの特権ですよね。」

 

 


たいしたことなかった

 

たいしたことなかった

中学高校に進学しても、美術は好きだったという小割さん。将来の選択肢に「美術」をおぼろにイメージし始めたのはこの頃だった。

”観察力”や”鑑識眼”が高い人が美術に向くというが、型にはまった理屈に対峙した時、この2つがそれらを凌駕することはよくあることだ。

「作陶3年目に初個展。4年目に日展への挑戦を始めました。とても広くて深い世界でした。もちろん最初は落選。大変な世界に来てしまったなあ、という感覚でした。」

彼が踏み入った美術の世界は、それだけでは太刀打ちできる世界ではなかった。「今は日展や個展が、自分を成長させる場になっています。」

 

 




きっかけや動機は何だっていい


きっかけや動機は何だっていい

社会人では大学の勉強を活かし、建築の世界にいた小割さん。何かしなければと、道を探っていた時に出会ったのが陶芸だった。
器への興味に先んじたのは、北大路魯山人や海原雄山のライフスタイル。自分の作った器で、自分の料理を提供することを目標にし、板前として料理の世界に身を置いた。
「陶芸に魅了されたというより、スタイルを決めて、はじめて土に触った感覚。楽しむ気はなく仕事目線でした。夢を叶えられるものか、ものにできるか、という期待感が強かったです。」

徐々に陶芸を追究していくと、陶芸は自由であることに気付いたという小割さん。
「全てが綺麗なものに行き着くわけではないと知りました。陶芸にセオリーはないんです。興味を持った作品はどれも、形の崩れた花入れや器のようなものでしたが、そういうものに触れるうちに、自分の方向性が見えてきて。そこからどんどんのめり込んでいきました。」 
魅了され、激しく惹きつけられるものがあるからこそ、その思いが作品に現れる。作者の感動を時空を超えて共有できるのは、美術作品ならではの良さなのかもしれない。

 

 



陶芸の魅力

陶芸の魅力

好きに土をこね、無計画でとにかく創作を楽しんだ遠い昔。子どもの頃の粘土遊びの感覚だ。
「触れば土が勝手に表情を作って楽しませてくれます。せっかく土らしい面白い表情を見せたのに、自分の予定で消すのはもったいない。面白ければそのまま作ればいい。土と対話し、表情を見ながらアドリブを楽しむのもいいじゃないですか。作るのは自分ですが、土がなんとかしてくれる感覚ですね。」

敢えて手綱を緩め委ねる感覚。裏打ちされた技術を持ちつつ、敢えて子どもの頃の感覚に落とし込むやり方は、彼独自といっていいかもしれない。

「陶芸には、性格や気質、歴史が現れます。美しい盛り付けを考えて、多少使いにくい器を作ったり、人が難しいと思うような形のオブジェを創ったり……料理や建築等、自分が頑張ってきたことが使えるのも、懐が深く間口が広い陶芸の魅力です。」
使う側と表現する側。両方の立場で創作できるのも、彼のスタイルだ。

「どの方向性で戦うかは人によって違いますが、陶芸は物理、化学、肉体労働であり、芸術です。できた作品が良ければいい。こだわりの釉薬は自分で調合しますが、市販品も使います。釉薬には釉薬のプロがいます。餅は餅屋ですよね。」

さらに、「陶芸は仲間と会話したり楽しく過ごしたりするためのひとつのツールです。ここには小学校2年生から上は70代後半の生徒さんがいて、そういう幅広い年齢の仲間とのコミュニケーションも大事。楽しい時も悲しい時も、中断しても、長く楽しめて、いつでもできるのが陶芸ですから。」とソフト面の魅力を語った。

 

 


いいものとは


いいものとは

「人を感動させるものは、100人全員の評価より“世界一だ!“と言ってくれる人がひとりでもいること。食べ物同様、美味しいもの、いいものはある意味”臭いもの“だと思うんです。嫌いな人もいるくらいでないと。理屈抜きにグッとくるか。こないものは興味がないもので、自分の扱うべきものではなく、専門外という捉え方をしています。」

人によっていいものは画一的ではないし、ひとつではない。周りの評価より「いかに楽しめる作品か」ということが大切なのだ。


「100個の量産品より、これは面白いと思ったひとつを作る。新しい挑戦をしてワクワクしながら作れば、作品が勝手に楽しさをしゃべる気がします。本人が感動したり、気に入っていればいい。そうすればずっと使い続けますよね。」

無数の観察者に向けて、誰かに響くもの…それは、しっかりとした個性があり、表現があるものだ。 楽しさが出ているか、遊んでいるか、品があるか。「本物感」という視点を大切に、小割さんは今日も土と対話している。


小割先生の作品

小割先生の作品

小割先生の作品

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