スペシャリストインタビューvol.52 吉永益美さん


はじめてその書を目にした時、一気に躍動感が押し寄せてきた。
とても情熱的な女性が描いたものだと想像したが、出会った彼女は自分の話を押し出してくるタイプではなく、凄く控えめな印象だ。普段の彼女はにこやかで、よく笑い、小動物のようなかわいらしさがある。

しかし一度筆を手にすると、彼女の根幹にある「核のなかの本当に小さな原子」が、書く所作と共に弾け出し、普段の彼女からは想像できないほどの「滾り」が彼女を掻き立てる。芸術に突き動かされている時の彼女は、普段とは別の書家の顔になる。鬼のような練習量が、努力が、内に秘めた表現への渇望が、彼女の筆づかいを支える。

 

 

 

現在の活動を教えて下さい。

 

揮毫(きごう)とは、筆を使った書画を描くこと。

地元の書道教室で教えながら、並行して展示会の作品制作やライブパフォーマンス等のアーティスト活動を国内外で行ったり、ロゴデザインや書道インテリア作品のオーダー制作をさせていただいております。中には「文字ではない書道っぽいもの」や「模様のような書」「シンボルのようなもの」「筆を使った何か」といった面白いお題をいただくこともあり、自分が納得がいくまで書き続けるので、反古紙の山に埋もれたりする日もあります(笑)。

揮毫(きごう)とは、そもそも筆を使った書画を描くことなので、そういったご依頼にも向き合うことがあります。納期が短いものから長いもの、小さなものから、自分の体以上の作品があったり等、大きさ制限も自分の中にはありません。私が筆を使ってできることなら何でもご依頼ください。

 

 

 

 

 

書を志すようになったきっかけは?

 

書道は常にそばにあるものでしたが、絵を描くことが大好きでした。

未熟児で生まれた私に運動以外での才能をと、母が3歳で習わせたのが書道。ただ、当時の私が夢中になったものは絵でした。コンクール入賞や、在校生の手本の絵になったり、学校選出で上級生の美術合宿に駆り出されたり…書よりも絵の子。
商業高校では、簿記部の部室からこっそり抜け出して、商業美術部に忍び込んでは自分で勝手に絵を描いたり、公募展にデッザンを出して入賞したり…今でもそうですが私、芸術に突き動かされると猪突猛進タイプで(笑)。

書道は、高校に上がる頃には臨書の段階に入っていましたが、教室で書くだけで満足していました。芸大推薦の話もありましたが、家の経済事情で諦め、貯金をして芸大に行くつもりで就職。就職先では企画や業務の仕事に携わり、とても身になる経験をさせていただきましたが、自分にしかできない仕事がしたいという思いが強くなり、「東京へ出よう!」と決めました。周りが納得するもの=書道・書画ということで、ずっと諦めてきた私が初めて自発的に選び、芸術への扉を開いたのが、身近にあった書道。

自分の第一の扉がここで開いたという感じでしたね。

 

 

 

 

海外で活動するようになったきっかけを教えてください。

 

ミラノ万博での吉永益美さんの様子。

東日本大震災が起こるまで、書いていれば満足、書くだけで良かったんですが、震災の被害をテレビで目の当たりにし、「今の自分は何かが違う」と自分に対して違和感を感じたんです。卒業して2年後くらいから教室をしていたんですが、自分が今できることは?と考えると、居てもたってもいられなくなりました。たまたま震災前の1月にプライベートで憧れのニューヨークに大反対を押し切って行っていたんですが、震災後の5月、偶然にもそのニューヨークで開催されるジャパンブロックフェアでのライブのオファーが知人伝手で来たので、即OK。

震災がきっかけで、能動的に自分から何かを発信したい!と思ったこの瞬間、自分の第二の扉が開いたのかもしれません。その後初めての個展を開いたり、県庁の応接室に作品が展示されたり、紹介でルーブル美術館の話が来たり…教えること以外に発信することもライフワークとなりました。

 

 

 

 

 

転機や印象に残る出逢いを教えてください。 

 

尊敬する恩師は上松一條先生。

私の通う専門学校の校長先生であった、上松一條(うえまついちじょう)先生です。
上松先生の筆運び…線が生み出されていく様があまりに綺麗で感動し、一気に書の世界の虜になりました。まるで神様が書いているような芸術的な筆づかいの持ち主で、その出逢いは衝撃的でした。そんな先生に「君はこんな書が書けるのになぜこのランクなんだ?」「(同級生の書を見て)君にはどれがいいか分かるだろう?」と、先生の変わりに審査をすることになったり…はじめて私を認めてくれたのが上松先生。

卒業しても、上松先生の授業はずっと受講を続け、先生も「僕のところに来なさい」とおっしゃってくださっていたのですが、いろいろなしがらみの中で私がうごめいていた最中、先生がご逝去されてしまい、弟子入りは叶いませんでした。上松先生のおかげで、自分に自信を持つこともでき、書が大好きになりました。僕のところに…とおっしゃった時、直感的にご自身の技術を遺して渡したいんだなと感じたので、とても悔しかったですね。

直属の弟子としてのご指導はいただいておりませんが、先生の書のDNAを少しだけでも受け継げていられたとしたなら光栄です。

 

 

 

 

吉永さんにとって、書とはどういう存在ですか?

 

書を通して世界と繋がっています。

「どこにいても発信できる!」「積み重ねたものは無駄にならない!」と知らせてくれたり、ひとつのことをやりきるという精神性を授けてくれたので、自分の可能性を拡げてくれた存在ですね。

それと同時に、自分の軸であり、ブレないための礎です。書を通して、私はいろんな世界とつながることができたので、これからも書を通じての新しい価値観や世界との出逢いが楽しみです。

 

 

 

 

 

何をしているときが楽しいですか? 夢は何ですか?

 

字は人なり。

たくさん楽しい瞬間はありますよ。書を続けていて、今まで疎遠になっていた人と個展や展示会で再会することができたり、パフォーマンスを見た方から声を掛けていただいたり等々。生徒さんが学校で賞を取り、努力を実らせる瞬間が見える時もそうですね。

教室を離れた生徒さんから「字が綺麗と褒められた」と報告をもらったり…字は一生使うものですから、子どもの自信にもつながるんですよね。

 

日本は世界から見てもとてもいい国です。勤勉で博学、何よりも他人に親切です。礼儀や道徳が根付いた素敵な精神性を持っているのが、日本人だと思います。その日本の精神性や素晴らしさを、書を通して世界に伝え続けることが夢ですね。

 

 

 

 

何かやりたい、始めたいという方にメッセージをお願いします。

 

吉永益美さん「感謝」とともに。

とにかく、前に進むことですね。私も書けなくなることがありますが、立ち止まらずにとにかく書き続け、まず行動をするようにしています。人生だから大変な時は逃げてもいいと思いますが、進まなければ何も変わらないですよね。

 

ご自身の中のよりどころは何か。私のよりどころである芸術は根本であり根源。書があるからこそ、自分を保つことができるので、心の中で核心的な情動を探すためにまず行動することが大切なのかもしれません。

 

今回、「発(發 )」としたためていただきました。
その間わずか…10秒!

 

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

 

 

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

 

 

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

吉永益美さん揮毫(きごう)

 

 

 

発書き上がり.jpg

勢いよく飛び出ていくような…

躍動感のある「發」。

今後どこで発表されるでしょうか。

発乾かした後.jpg

 

 


 

PROFILE


吉永益美 さん

女流書家。

静岡県出身。3歳から書くことを始める。現在フランス・アメリカをはじめ各国で展示を行い高い評価を得る。モナコ公国文化庁より名誉賞を受賞。世界遺産展示。ルーヴル美術館内展示、ユネスコ本部展示、清水寺展示等、世界遺産展示多数。2011年から東日本震災から強い影響を受け、個展や各国で書道揮毫を開始。アメリカグランドセントラル駅前で揮毫。フランスユネスコ本部揮毫。2015年ミラノ万博で公演とワークショップを行うなど、世界的な文化活動を行っている。

 

 

 

 

 

 


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