ニュートラルでフラットなスタンスの菅井さん。
声を荒げることが全くその姿からは想像できないほど、穏やかな印象がある。
「右も左も分からないところに身を置きたい」と放浪のひとり旅をしたり、「カルチャーショックを受けたことが無い」と肝のすわったその性格、懐の深さは、今までの道のりを自分で決め歩んできた証だ。
前例がなくても、決まったレールが無くても、彼は道を進む。プロパノータという相棒は彼にとってそういう存在でもある。
プロパノータとは
廃棄処分待ちのガスボンベから生み出された新しい楽器。金属製スリットドラムのひとつ。プロパノータとは、プロパンガスのボンベ+ノータ(スペイン語で音)=プロパノータで、菅井さんが考え出した造語。「僕の勝手な解釈ですが、単独で綺麗な音が出る楽器は少ない気がします。ピアノでも単音では“ゴーン”というただの音。ハーモニーとして曲として聞こえて初めて魅力的な音になる気がします。プロパノータは音に角が無く、その柔らかい音色が優しく染みわたるような感じがするんです。単音でもこういった世界が作れる楽器は珍しいのではないでしょうか(菅井さん)。」
藤枝駅前の工房でプロパノータの製作と加工を中心に行っております。ホームページ販売が中心ですが、情報発信のためにイベントに出展することもあります。先日はクラフトフェアまつもと2015に出展しましたが、お客様と直接話したり、お客様が直接プロパノータに触れるチャンスを作ることはとても大事だなぁとそこで実感しました。
工房に来ていただければプロパノータを試しに演奏することはできますが、それ以外の方たちにも知っていただくために、これからはイベントも積極的に参加していきたいと思っています。
学生時代に1ヶ月、欧米に貧乏旅行にでかけましたが、社会人になり、さらに長く放浪の旅に出たいと思うようになったんです。
そんな時、映画「ラテンアメリカ・光と影の詩」を見て、主人公が父親に言われた「一度決心すれば人生は変わる」という言葉が妙に響き、働きながら貯めたお金で旅に出ました。
たった20時間で日本とは季節も文化も真逆の別世界に行けることと、大学でスペイン語を選択していたこともあり、中南米のアルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、メキシコを放浪しました。偶然出かけた地元のフェリア(フリーマーケット)で太鼓とトランペットのセッション…みんなが楽しそうに輪になって体を揺らしている様子に目を奪われました。その雰囲気、空気感、太鼓の音やリズムに魅了され、そこから打楽器にハマってしまいました。
そこから海外のサイトで打楽器を検索していたら、金属製スリットドラムを見つけたんです。綺麗な音色、その見た目…直感的にヒントを得て、「自分が欲しい」打楽器としてオリジナルの「プロパノータ」を作りはじめました。
祭りで花火を見て感動し、30歳で花火職人になりました。ひとことで表せる伝統的な職業として「職人」への憧れがあったのかもしれません。ただ、40歳では今とは違う状態に身を置こうと、秘かにスペインで花火職人になることを計画していました。
それでも、木製の打楽器を自主製作したり等、打楽器熱はずっと冷めなくて、花火と打楽器どちらで生計を立てるか3年くらい迷いましたね。金属で楽器を作ってプロパノータの試作もしていましたが、知り合いに依頼して仕事の合間に製作してもらっていたので、自分が満足のいくものはできませんでした。それならば自分でと、プロパノータ職人に専念することにしました。そして4年、今に至っています。
大学のスペイン語の先生でしょうか。
大学と言うととても硬くてきっちりとした世界のように思いますが、その先生はワインを湯呑で飲み、教科書を使わないアドリブの授業をするなど、常識的ではない教授だったんです。ルーズで面白いその生き方を見ていて、放浪をしてもいいと僕は思ったのかな(笑)?
スタンス面では、一生懸命物事に「打ち込む」ことですね。
中高とサッカーに真剣に取り組んでいたんですが、大学に入ってぽっかりとそれが無くなり、その期間はモラトリアムというか…懸命に打ち込めることを探していて、ようやく僕は「ものづくり」を見つけたんです。
作ることもそうですがその周辺…工具を使いやすくしたり、固定する部品(治具)を考えたり…オリジナルで編み出していく「ものづくり」にたどり着き、今はそれを仕事としています。
プロパノータに関しては、演奏をする場所と音が出る場所が同じの一体型の楽器なので、音が混ざらずに一音一音がしっかりと心地よく出ること、音が干渉し合わないように加工することを大切にしています。絶対音感はありませんが、一番いい状態の音は僕の耳が記憶しているので、音を周波数解析で数字管理をすることにプラスして、きちんと響くかどうかを自身でテストをしています。
寝てる時(笑)!?
冗談です。プロパノータを作っている時もそうだし、演奏している時も楽しいです。きっと気持ちがいい時が楽しい時ですね。
そりゃもう、ノマドみたいな生活をしたいです(笑)。うそうそ。
プロパノータが今よりも浸透して、世間に広まっていることが夢です。
60歳になる時は、僕はプロパノータの製造よりもプロパノータの演奏活動が増えたらいいなとも思っています。
「一度決心すれば人生は変わる」という言葉で僕の人生が変わったように、やってみなければわからないですよね。
やりたいことは、まずやってみることです。
菅井肇(すがいはじめ)さん
プロパノータ職人。
1970年生まれ。千葉県出身。20代半ばより2年半、中南米を放浪。そこで打楽器と出逢いハマる。30歳で花火職人となり、40歳を機にプロパノータの製作、販売に専念することを決意。現在に至る。
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