お客様が心から満足できるような服作り、磨き上げられた高い技術水準を生かした服作りを提唱する服部さん。
名字にある「服」の文字は、生まれながらにしてこの道に進むと決まっていたかのよう。
お客様のシーンに合わせた、その方が最高に似合う、そしてハイクオリティーなデザインを提供し続けるのは、お客様の笑顔のためだと言う。
彼のデザインするものは、誰の目にもシンプルではあるが、洗練度が高くとても魅力的に映る。
それは袖を通す人への彼の想いが形となっているからなのではないか。
ずっと追い求めることができるテーマは最初から変わっていない。『エレガンス』。『究極』。
彼でなければできないコンパクトで密度の高いビジネスモデルを確立した今、服部さんは、日本最強のクチュリエと言えるのであろう。
一言でいうと職人プロデュースですね。
渋谷にデザイン事務所兼アトリエ、西麻布に「Le Bon chic」という*プレタポルテとオートクチュールの店、焼津に「B-Market」という魚がしシャツの店を展開しています。
その中でプレタポルテやオーダー、ハイブランドの企画をしています。
(*プレタポルテ…有名デザイナーやメーカーの高級既製服)
また、デザイン活動や受注したデザインのパターンを作って職人に発注する業務、そしてデザイン学校(桑沢デザイン研究所・埼玉県立デザイン専門学校・埼玉県立新座総合技術高校デザイン専攻科)の講師もしています。
札幌・福島・浦和・日本橋・新宿・静岡・福山・高松・博多などで、伊勢丹や三越を中心に逸品会、丹精会などの受注会出展の依頼も受けています。先日、北京でもやり、手ごたえを感じています。扱うのはメンズ、レディース、普段着、ウエディングドレス、魚がしシャツなど幅広いです。
また「メイドイン日本」的な音楽ライブの開催もします。
これは、ソイジョイ・桃の天然水をプロデュースした服部さんという方が独立した時に「日本のものを世界に!というコンセプトで音楽グループの衣装をやってくれないか。」と言われて、大島紬を使った内閣府のプロジェクトをやらせてもらったのがきっかけです。世界で開催されたライブをBS・日テレが追っかけて、毎年2時間のドキュメンタリー番組を作るほど反響がありました。
その中でアーティストに大島紬や魚がし・鰹縞も着てもらっています。
作業も寝泊りもできる渋谷のアトリエは15年くらい前に作りました。
西麻布のお店は、初めは毎月2~3着作ってくれるお客様のものを飾る場所として、空間プロデュースしたものなんです。店を持つという意識は全くありませんでしたが、そのお客様から「あげるよ」と言われ、それを引き受けました。今はもうその方のサロンではなく、僕のお店になっています。
職人さんに定期的な数量の発注をして、コレクションとコレクションの間の閑散期を僕が埋めるという仕事をメインにやっています。
腕のいい職人さんになると、その職人指定でコレクションの前にブランドから仕事が集中します。
たとえばディオールなんかは、日本のこの人にこのレザーは作ってほしいと、わざわざフランスから発注が入るわけです。その職人さんはひとりで全て仕上げます。その人は、マイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソン、スティービー・ワンダーなどのアーティストも手掛けたこともありましたね。
派手に見えるかもしれませんが、腕の良い職人ほど、コレクションとコレクションの間になると仕事が入らなくなるわけですよ。
生産ラインの時期には腕がいいがために仕事がなくなるという負のスパイラルは、とてもおかしいと思っています。腕のいい職人さんにできるだけ安く仕事を出したいとなると、職人さんが下請みたいな扱いになってしまう。20代のころからずっとおかしいと思っていました。
「デザイン」=「衣装」というデザイン画的なイメージが強いのですが、イメージするところからお客様までの一連の流れが本当のデザインだと思います。デザイナーや職人がみんな満たされているかというと毎日泣いているという人がほとんどなんです。去年会社をたたんでしまった職人さんもいらっしゃいます。
今まで自分自身は表に出ないようにしてきました。でも職人さんたちの腕を生かす場所になるのであればと、今では三越伊勢丹をメインにデパートにも私は出ていくようにしています。
デザイン学校に行っていた頃は、DCブランド全盛期。
当時はパッシやニコルが好きでしたね。
絵を教わったサーフィンの先輩(ジャパニーズレゲエシーンに欠かせないアーティスト「Jr.Dee」のお兄ちゃん)に「どこのデザイナーになるの?」って聞かれて、好きなブランドを言ったら、「だっせーな!」って言われましたね。
確かに40歳、50歳になってもやっているのってつらいなあ、って思い直したんです。
今それが流行っているからそこに向かっているという意識がダサいということだったんでしょうね。
その一言で自分がずっと追い求められるテーマを作りたいなって思ったんです。それが『エレガンス』。『究極』。
それをテーマにしたモノづくりがしたいということで芦田淳・KIMIJIMA・Michのようなオートクチュールのあるブランドに行きたいと思いました。
Michの渡辺雪三郎さんがファッションショーの審査員に来た時、僕が大賞を取ってスカウトされたという流れですね。
(*クチュリエ=高級注文服のデザイナー)
まず、サーフィン仲間で、絵を教えてくれた人。
僕の絵の講評になると「だっせーなあ」って言うわけですよ。そういう風に好きな先輩から辛口の評価をしてもらうのが結構好きなんです。
その後桑沢デザイン研究所に入学して、Michに就職し作品を見せたときには凄く評価してくれて嬉しかったですね。
そして、Michのデザイナー渡辺雪三郎。
「お前、歩き方とか着こなし方的な動き方を含めて運動神経いいなあ。センスがいいなあ。」と言ってくれました。
絵を描くことは、実は頭でイメージを膨らめて手と体を使うんです。だから運動神経が表現に繋がるんです。
仕事場やアトリエに遊びに遊びに行くと、もの作りに愛がある人だと感じ、この人の目に留まりたいと思いました。
ファッションショーの審査員で彼が来ることを知り、大賞を取って、スカウトされたいと思い、これを作ったら大賞を取れる!と信じ、サーフボードの素材を使ったクリスタルのウエディングドレスを作りました。憧れのモデルさんに着せて、その人に一番似合う形のイメージを全部まとめたものを評価してもらって、もくろみ大成功!(笑)
見事スカウトされました。
どういう風にチャンスをつかんでいくのか、は自分次第。
タイミングをどう合わせていくかだと思います。
誰にでもタイミングがあってそれをやるか、やらないかだけだと思う。
それを意識しているか、していないか。それだけの話だと思いますよ。
アシスタントとして重要な役割は、その先生が意識しているものを具現化すること。
先生が描いたかのようなものに仕上げなくてはいけないので、個としての存在は必要ないんです。
だいたいの人がそこで焦って「自分!自分!」となってしまう。でも何もない自分をアピールしても仕方がないんですよね。
僕は弟子と社員のダブルスタンスでした。
9時から夕方5時くらいまでは社員として働きました。師匠は夕方6時頃からの出社。そこからだいたい夜中の1時、2時くらいまでデザイン活動、そのあとご飯。
家に帰ってプラモデルなどの好きなことをする時に、師匠がいろんな話をしてくれたんです。美意識だとか、これはこうするとキレイにできるとか。
あの時に話したあの色だよって言われた時に、アシスタントはすぐにその色を出さないといけない。特にイメージを具現化するシーンで、「あのブルー」と言われた時に「あのブルーって?」では仕事がなくなるんです。
その領域で仕事をさせてもらったことが今一番生きています。
だからその時に教えてもらった感覚で仕事をすることが大半です。
職人さんのもっている潜在能力を言葉やイメージで明確にして、お客様にどれだけ伝えられるかという点ですね。
その方に一番似合うものを僕のセンスで提案しています。
クチュリエは、自分がデザイン・パターンを全部やりながら、あとはイメージをどれだけ職人さんに渡せるかが、評価となると思います。
その人が日常使うものとして適正か、シーンとして適正か、という部分を大切にしています。素材にもこだわります。デザイナーとしてのバランス感、センスの領域でどう使うかを考えますね。
地域の素材と言えば、奄美や与論島に織物をしている人にデザインを教えてくれと言われた時に、大島紬と出会いました。
それから魚がしシャツ。
夏はTシャツよりも涼しい魚がしシャツに着替えたくなりますね。実は長袖や冬にインナーとして着たらすごく温かいし、出張先でも、夜洗えば朝には乾いているし。そういう意味では、決して丈夫な素材だとかいい素材ではないけれども、その適正においては素晴らしいものだな、と思っています。
作っている時です。
それは自分を忘れる瞬間。
今までどんな人たちとどのくらいの密度で関わってこれたか、そして大好きな人とどれだけ関われたか、どれだけ魅力的な人といい時間を共有できたか。
大好きな人といっぱい仕事で絡んだり、いろんなことをやっていくことが、死ぬ一瞬にいい人生だったと思える事です。
それから「この人すごいなって思う人」「自分が憧れるような人」との時間を一番大切にしています。
職人さんたちがもっと希望を持てるような時代にしたいですね。
職人さんをもっと大切にしたアパレル業界の新しい構造を作りたいんです。
エルメスは、学校を作って職人さんを育て、トップの3%くらいをインターンで入れて、その2年の中で良い人だけを雇う。リペアなんかも作った人に依頼するんです。だから3か月くらいかかる。
本当にモノづくりをしているブランドだなと思います。
僕は日本でそういうことができるブランド、ライン、チームができるようにしたい。
ものづくり集団がビジネス化できるミニマムな集団を確立していきたいですね。
ほんのちいさな衝動をいかに温めるかだと思うんです。
その衝動をいかに自分の中で大切にするかが、どんどん次につながっていくと思うんです。
育んでいる時間が楽しい時間になると欲求とか追究がどんどんステップアップしていって、能力が向上すると思うんです。
その中にキーワードとなる厳しい言葉ほど、自分の中で大切にできたら広がりが美しくなる気がします。
嫌な言葉ほど大切に。
自分は人に対して傷つかないような言葉を選びますけどね(笑)。
本気で言ってくれる人の言葉は大切にしています。
人が喜んでくれる究極のものづくりですね。
日本では企業もセクト化していますのでデザイナーは絵だけ、パターンナーはメンズとレディースは別々で人材を育成出来る期間とコストが貴重な為双方が出来る人材は少ないんです。
ものづくりって人が関係することが少なければ少ないほど、自分が関わる領域が広がります。その中の密度が大切になるし、言ってみれば絵を描いて自分で形を作って、自分の中でほとんど完結できる仕事。
本当のことを言うと「どうだ、おれ!」ってのはありますけど。
喜んでいただくために精一杯関わっています。
だから仕上がった時のお客様の笑顔は最高ですよね。
逸品会や丹精会みたいなところでもインターナショナルブランドや日本のトップの芦田さんみたいなブランドと競ったりします。
僕が手掛けるものが評価されるのは、勝てる領域があるからなんです。
僕はこれだけ高いクオリティーのものをここまで抑えた値段で、しかもオーダーでできるんですよ。
トップブランドの商品とと並べた時に、見劣りしない商品をフルオーダーで作って喜んでもらうことができるんです。
それは僕のビジネスモデルだからできること。
そういう意味でいうと人にマネできないチーム編成なんです。
腕の良い職人さんとは直に1対1で、そしてお客様の3人で完結するというその密度。
そこをビジネス化したいというのは自分の思いであり喜び。
デザイナー・クチュリエというよりはもう服飾家ですよね。
最初から最後までデザインするのですから。
クチュリエ 服部幸之助さん
日本を代表するクチュールブランドMICHにてデザイナー、チーフモデリスト及びチーフプロデューサーを歴任し、ウエディング、アクセサリーなど15社をプロデュース。
更に舞台衣装の分野においても『チャタレイ婦人の恋人』(佐久間良子主演)『ローマの休日』(大地真央主演)などのデザイン担当し退社後、BLASON DESIGN OFFICE設立。 職人の位置づけを大切にしたモノ作りでFOXEYを中心にブランドプロダクトを担当し、現在は日本橋三越、新宿伊勢丹のオーダサロンにてメンズ、レディース共に数少ないクチュリエとして高品質で抜群のフィット感に高い評価を受け、西麻布に日本の職人の技術を活かしたアトリエ風サロンLe Bon Chic Blasonを展開中。 また、新世代の育成にも積極的に力を注ぎ、桑沢デザイン研究所、静岡デザイン専門学校ファッションデザイン科、埼玉県立新座総合技術高校並び先攻科の講師として活動している。
Official web site Le Bon Chic(ル ボン シック)