聞き取りやすい声に、コントのようなトーク。
小気味よい笑いを挟みながら、ひとつの劇場のように、このインタビューは終わった。
語調やテンポから垣間見えた勝山さんの世界からは、“常に動いている心臓”のように、リアルな勝山さん自身の鼓動が聞こえてくる。
稽古の時も取材も、中学生のようないたずらに満ちた表情を見せる彼。自分で作った作品で自分が笑う。
これこそが、シンプルだが一番必要で、一番難しいことでもある。そこに苦しさは一切なさそうだ。迎合せず、自分基準で自己肯定を続けることは、時に敵を作ることもあるだろう。しかし彼が恐れるものは、数の論理で決められたルールではなく、自由を奪う強制的な力のみ。それに抗い、自由でいるために作るスタンスだからこそ、作品が尽きることもなく止むこともないのであろう。勝山康晴という人は、24時間ずっと自分の作品の世界にいるような人物だ。
コンドルズが、僕のやっている会社のメイン事業です。年に1回の全国ツアーと年に1回の海外ツアーを軸に活動を続けてきて、今年で18年目。あとは単発の公演をパラパラやっていますが、僕はそれをプロデュースする係です。出演もちょこっとしているんですけど、主宰の近藤良平が作品面の責任者で、僕が運営面の責任者。
ストライクの方は、コンドルズが売れ始めた頃、いろんな人たちが寄ってきて、何かやりたいことないの?って言われたときに、“あ、バンド!”というノリで始まりました。バンドしかないだろう俺!みたいな感じで、高校からバンドでのメジャーデビューを夢見ていて、大勢のサポートがあって何とかメジャーデビューにこぎつけたんですが、全っ然売れなくて(笑)。エピックからデビューして、同期はアンジェラアキさんや、いきものがかりさんとかビッグネーム。3年やったんですけど契約切られて。ああ、一番やりたいことはすぐにはうまくいかないんだって実感しました。
だからと言ってバンドをやめる理由にはならなかったですね。だって誰かに強制されてバンドやってるわけじゃないし、メジャーじゃなきゃバンドやっちゃいけないってルールもない。現在インディーズでやってますが、面白いですよ。CD1枚が売れるのがすごくリアル。自分で作ったものが目の前で売れていく感じや手ごたえが気持ちいいんです。結局コンドルズもストライクも生の舞台で、直接その人に届けてるというのが気持ちいいですね。
歌謡番組で踊っている人を見て、人前でよく踊れるよなと思っていました。ダンスだけは絶対にやらない!と。でも、大学に行って2年生の時にすごく好きな人ができて、その子がダンス部だったんです。これ…仕方ないでしょ?近づくためには(笑)。舞台やバンドもやっていたからダンスも延長線上かなってくらいで始めました。本当に単純明快で、男のサガ的な理由(笑)。
バンドをやることは高校生の時に決意しました。小学校の高学年になると、将来の夢とか聞かれだすじゃないですか?僕は勉強が学年で一番くらいに出来たから、本当になりたい“ガンダムのパイロット”っていう夢が書けなくて(笑)。アニメや漫画が狂うほど大好きで、その世界に入りたかったんです。小6の時に周りの大人達が納得するような現実的な夢を考えたんですが、流行っていた“アメリカ縦断ウルトラクイズの司会者”になりたいと思ってしまったんです(笑)。人に向かって”NYに行きたいかー?“なんて、今思えばロックバンドのボーカリストの位置なんですよ。そんな時に日本人初の宇宙飛行士が話題になっていて周りも納得する宇宙飛行士をとりあえず公式な夢にしておきました。でも目が悪いからなれないんですよね(笑)。
その時にバンドブームが来て、堂々とバンドを夢に掲げて始めたのが高校生。ブルーハーツを初めて聴いた時は、怖くて消したんです。あの「ド~ブネーズミィ~♪…」ってフレーズが生理的にダメでカンにさわって。でもだんだん抗えなくなって、本当の正体はなんだろうと思って聴いた時、「俺の仕事はロックバンドだ!俺がやりたい仕事はこれだ!」って分かったんです。価値観がひっくり返されるような出来事で、”ブルーハーツ・ショック“はまさにそれでしたね。
公演でコンドルズが静岡に来れるようになって、静大の平野先生依頼の講義でチョコチョコ戻ることも増えてきました。講義の帰りに先生と静岡の文化の話をしていたんです。
当時某人気女性アイドルグループが地方展開を始めたころで、静岡にそんなものができたらどうしよう?って危機感を抱いていました。静岡独自の何かをもっと打ち出したものがないかって、考えた時に“市民ミュージカル”だとひらめいたんです。エスパルス等地元で有名な企業とタイアップしたら面白いんじゃないかって。サッカーならみんな興味持つし、東京に着いたらすぐに財団に電話して、エスパルスの社長に連絡取ってもらって即アポし、1週間後に会いに行きました。そしたら「いいね、やろう!」って即決で(笑)。役者もスタッフも監督も全部静岡人。
静岡人の静岡人による静岡人のためのもの、静岡の人間しか面白くないものを作ることに意味があると思うんです。静岡独自の舞台芸術、どローカルな静岡オリジナル…例えば北海道の大泉洋さん率いるTEAM NACSだったり、福岡のギンギラ太陽‘のようなものの静岡版ですかね。そんなことができて100年経っても根付いていればいいなと思います。
余談ですが、コンドルズの公演やラジオのパーソナリティとして静岡に来るようになって、同級生と飲む機会なんかがあって、高校の時には全然仲良くなかったやつと仲良くなったり、親友みたいになったり…大人になってからの友達が増えましたね。東京に行ってた人でも、みんな大学の話じゃなくて、どこ高(どこの高校)?みたいな。人って何度でも出逢えるんだなって感じました。
大学に入ったら尊敬できる同性の先輩とか憧れの先輩とかいるかなーと思ったけど、もともと上とか嫌いじゃないですか?全然いなかったんですけど、最後の最後にとんでもない奴らが現れて、それが近藤良平と石渕聡。
根本的に人生の価値観がズレてて、基準となっている軸がおかしい人たちとの出逢いですね。ふたりでご飯を食べに行って、近藤さんのドリアからゴキブリが出てきたらしいんですけど、わ!ゴキブリ出てきたって近藤さんが騒いだ時に、石渕さんが「おい、そんなにあわてるな。お前が食べてたドリアからゴキブリが出てきたってことは、ゴキブリもお前と一緒のドリアを食べてたってことだろ?」「あ、そっか(近藤さん)」って、クレームをつけなかったらしいんですよ。常識外れたちの発言でしょ?一事が万事そういう発言の連中ですから(笑)。あの出逢いは、コペルニクス的転回でしたね。
あとは、アニメの世界にどっぷり引き込んでくれたガンダムの監督の富野さんだったり、ブルーハーツだったり、僕にダンスのきっかけをくれた大学の女の子(笑)。
そして僕のダイエットを成功に導いてくれた桑田真澄さん。学生の時にジァイアンツファン感謝デーのお手伝いをしたときに、目を見て “がんばってるね“って僕の肩を叩いて言ってくれたんです。桑田さんは今でも現役のトレーニングを自分に課して、始球式でもいまだに130km出す人。ダイエットがつらくて、さぼりたいときでも”桑田さんならやるだろっ“て(笑)。
ポーズができたことに満足して次々新しいポーズを追い求めることは決して否定はしませんが、その次にどうするかが大事。ポーズが先か、考え方が先かということを理屈で説明することは難しいので、体感できるシチュエーションを作り出すこともあります。
基本的にお仕事って、“これ買ってください”だと思うんですけど、その“これ”=勧めるものが、もしつまらなかったり、役に立たなかったり、面白くなかったら、全額返してもいいからこれ買ってくださいというものしか売りたくないんです。場合によったらダダでもいいからっていう勢い。勧めるものに命を懸けれるくらいのものがあればどこかに就職したと思いますが、残念なことにそれがなかった。
バンドと舞台こそ、自分が自信を持って堂々と売れるものなんです。生活のために仕方なく売るような仕事はできないし、しません。僕にとって作ることは、歯を磨いたりトイレに行ったりするのと同じくらい当たり前。生理現象みたいなものです。作ろうと思って作っていないから。
核にあるのは“全肯定”。自分自身の肯定もそうだし、他人の肯定も含めて。押し付けられたり強制されたり、上から言われたりすると全力で牙をむくタイプなんです。みんなこうしましょう、これを聞きましょうみたいなのが死ぬほど大嫌いで。この世の中にはもっといろんなものがあって、“これあってもいいんじゃねぇ?楽しくねぇ?=いろんなものを肯定する”みたいな。ある種の“反抗心”ですね。押し付けてくるものに対して、“それ違うって思ってるやつもいるよー。僕は言ってみるよー”みたいな。自分が一番楽しめるものを作っているので、もしかしたら自分に向けて作っているかもしれませんね。
とにかく作り続けることです。例えばローリングストーンズ。もう70代のロックバンドですが、悪魔に魅入られたみたいにバンドを続けてるじゃないですか?ロックバンドの敵は年齢ですが、それに思い切り抗ってる。一生を棒に振るだけの価値があることをやり続けたいです。
結局、続けた人が一番偉い。先ほどの話に出た、静岡独自の舞台芸術を根付かせる話も、100年後くらいに当たり前になってて欲しいですね。
何かを始めるということは、自分を好きになるための一歩。そういうことに貪欲なのは素晴らしいことです。もうねえ、思い立ったら即行動!片っ端から全部やっちゃえばいいんです。行ってやってみて、なんか違うなとか、ちょっと強制されているかなと感じたら、やめて次を探せばいいじゃないですか。打って打って打ちまくるみたいな。無理かどうかはやって決めればいいですよね。邪魔をしているのは個々のプライド。うまくできなかったらどうしようとか。誰もそこまで見てないから大丈夫(笑)!
作ることが当たり前のように、それ自体も当たり前のものですかね。仕事だけど仕事じゃないというか。自分の魂を入れる…歌は魂そのものですから。作品も自分に波長が合って、引っかかるものなので、自分を肯定してくれる場所でもあります。
両方とも、これから未来に向かう集団だから、今、面白くて仕方がないですね。そして、とても幸せなことに、海外や国内公演で各地を訪れた時に、いろんな意味で、作品や活動が僕のコミュニケーションツールになるんです。自分の作った作品でコミュニケーションが取れる人ってそうはいないから、本当に楽しい人生ですよ。
コンドルズプロデューサー・ストライクボーカル 勝山康晴さん
1971年生まれ。コンドルズプロデューサー、ストライクボーカル担当、ROCKSTAR有限会社代表取締役。
1995年、早稲田大学社会学部卒業。1996年、主宰である近藤良平らと共にダンスカンパニー『コンドルズ』を創設。国内だけでなく、アメリカ、イギリス、韓国など世界20ヶ国以上で公演。全公演にプロデューサー兼出演者として参加、選曲も担当、人気ダンスカンパニーに成長させる。また、作詞、作曲家、ラジオパーソナリティ、大学客員教授、アニメ・アイドルおたくを活かした雑誌での執筆など、幅広く活動。ロックンロールバンド、『ストライク』のボーカルとしても活躍中。NHK「MUSIC JAPAN」に出演経験あり。 現在SBSラジオ『らぶらじ(金曜日)』でパーソナリティーを務めている。