vol.13 おもちゃデザイナー 相沢康夫(あいざわ やすお)

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人生で3度訪れた「運命の出会い」が一本の線につながった時、世界的玩具デザイナー相沢康夫氏は誕生した。それらの出会いは偶然ではなく、彼の中でずっと燃え続けていた情熱が引き寄せた必然であり、そのチャンスを手に入れることができたのは、自信に満ちた決断があったからだろう。細菌学者ルイ・パスツールは言った「偶然は準備のない者には微笑まない」と。相沢氏はこの言葉を自身の人生で証明している。

 

 

おもちゃデザイナーとしての今の仕事は?

相沢康夫氏-画像

当然ですが、玩具を作ることです。まず自分のアイデアをもとにデザインを描いて、試作品を作る。そして自分で遊んでから、多くの子供たちにも遊んでもらい、「これならいける!」と思えれば、スイスやドイツなどの玩具メーカーに試作品を送ります。そしてメーカー側で、コスト面を含め販売できると判断したものだけが製品化されます。この過程を経て、玩具としてデビューしているのはだいたい4割ぐらいかな。2か月程かけて試作品まで作ったのにイメージ通りにならず、断念した玩具もありますよ。悔しいですが、作っている時が面白かったのでいいかな。仕事の中で私が大切にしているのは、自分自身が純粋な気持ちで遊んでみること。自分が面白いと思えない玩具は製品化する意味がないです。子供たちが面白がってくれた試作品も、最終的に自分が納得できなければメーカーには送りません。

 

 

百町森で働くようになったきっかけは?

百町森自体は1979年にオープンしたのですが、当時は3畳ほどの場所に子供向けの本が50冊程度あるだけの小さな店でした。一方、私は某会社でネクタイ・スーツ姿の営業マン。百町森には客として時々来てましたが、百町森オーナーの柿田友広とは顔見知り程度の友人でした。その頃私は漫画家になりたくて、働きながら漫画家デビューを目指していたのですが、仕事が忙しくて漫画を描く時間がありませんでした。そこで、柿田になんとなく話をしたところ、偶然にも百町森が忙しくなり始めて人手が欲しい。じゃあうちで働けば、という話になって。もう30年以上前の話です。

 

相沢康夫氏-画像

すぐに玩具デザイナーになったのか?

最初は、漫画を描く時間欲しさに働きはじめたのですが、ある玩具との偶然の出会いが、私を玩具デザイナーに導いてくれました。スイスの玩具メーカー・ネフ社の「キュービックス」という積木です。それはもう衝撃的で、私が抱く玩具の概念が根底からひっくり返っちゃいました。百町森で働き始めてちょうど10年目、児童書だけでなく本格的に玩具販売を始めた時です。その後すぐにキュービックスを生み出した天才デザイナーのクラーセンさんの玩具を全部買って遊びましたね。それで気付いたら、自分でも玩具を「作る」側にいました。おそらく「好き」という強い思いが、自分でも知らないうちに「作りたい」という気持ちに変化していったのでしょう。

 

ネフ社のデザインをするようになったのは?

数年後、ネフ社の創始者クルト・ネフ氏が来日し、日本の才能ある若手デザイナーを発掘するためのパーティーを開くことになったのです。私もたまたまその情報を知って、参加を申し込んだのですが、気持ちが高揚していたのか開場2時間前に行ってしまいました。その時、普段はスケジュールびっしりのネフ氏の時間が偶然空いていたらしく、その場で私の試作品を見て、すぐ気に入ってくれたのです。ほんと「運命の出会い」って感じでした。その玩具はネフ社ではコストが掛かり過ぎるという理由でデビューできませんでしたが、後日、日本メーカーで製品化しました。若い頃はネフ社に月に1~2個ぐらい試作品を送っていましたね。今ではそんなハイペース考えられませんよ。当時は自分が思い付くものは何でも「行ける!」と思っていたのでしょう。ネフ社でのデビューはしばらくたってから実現できましたが、値段は3万9千円!自分でもびっくりでしたね。

 

「いい玩具」と「そうでない玩具」ってあると思う?

相沢康夫氏-画像

私個人の好き嫌いの話になってしまうかもしれませんが、子供をバカにした、あるいは子供に迎合したような玩具は好きではありませんし、いい玩具とは言えないと思っています。キャラクターさえ付いていればいい、どうせすぐ壊すのだから簡素でいい、そういう考えで作られた玩具です。子供にとって、特に6歳以下の子供にとって玩具とは、成長するうえで必要不可欠なものです。子供は遊びの中から様々なことを学びます。だから、その遊び相手である玩具作りに妥協してはいけないのです。子供向けだからこそ最高のものを。これはネフ社の考えですが、私も100%共感しています。ヨーロッパでは、祖父母の代から続く玩具で孫が遊んでいます。丈夫で普遍的な最高品質の玩具を職人たちが作っているのです。以前ヨーロッパの職人から、日本の100円ショップに関して指摘されたことがありました。玩具を大量生産大量消費することが信じられなかったようです。職人気質が見えますよね。

 

 

相沢康夫氏-画像

玩具作りの楽しさとは。

無我夢中で試作品を作っているとき、それはそれで純粋に楽しいです。でも、それ以上に楽しいのは、苦しんで苦しんでアイデアを絞り出し「よし!これならいける!!」と思った瞬間ですかね。私も人生でいろいろ楽しい経験をしてきましたが、アイデアが出てきたこの瞬間は、すべての娯楽の中で一番楽しいかもしれません。玩具作りは、私の人生そのものを面白くしてくれています。

 

 

最後に、ご自身にとって「玩具」とはなんですか?

う~ん、難しい質問ですね。簡潔に言うと「なくてはならないもの」。作ることも含め、玩具のない人生は考えられません。空気や水と同じように生きていくうえで必要不可欠な存在です。あと「親友」って感覚もありますね、出会えてよかったという意味では。こう感じられるのは、百町森オーナーの柿田友広やネフ社創始者のクルト・ネフ氏、そしてキュービックスとのまさに「運命の出会い」があったからでしょうか。そして、私には大きな目標があります。玩具の分野で「相沢ワールド」を確立したいと思っています。後世の人が私の作品を一目見て「ああ、これ相沢の玩具だ」と分かるようなカタチというか概念みたいなものを。まあ、死ぬまでに成し遂げられたらといいな、って思っています。

 

 

 

PROFILE

相沢康夫 あいざわやすお
1955年静岡市生まれ。おもちゃデザイナー、漫画家、積み木パフォーマー…など様々な顔がある。本業はおもちゃ屋店員。スイスのネフ社ほかで14点以上のおもちゃが製品化されている。自称「遊びとおもちゃの弁護士」。著書に、『好きッ!絵本とおもちゃの日々』『まだ好き…続・絵本とおもちゃの日々』


百町森ホームページ http://www.hyakuchomori.co.jp/

相沢康夫のおもちゃ http://www.hyakuchomori.co.jp/toy/aizawa/aizawa_top.html

ネフ社 http://www.naefstyle.jp/